「うつ」から復帰への道すじ

アクセスカウンタ

help リーダーに追加 RSS 休職してからの日々(11)

<<   作成日時 : 2005/11/20 06:55   >>

トラックバック 0 / コメント 2

しかし株の方はそうはいきません。
初心者が誰もが通る道とはいえ、元本はじりじりと減っていきます。
実は、ここで少し儲けてバイクを買う資金にしよう、などと不遜なことを考えていたのですが、そんな欲が災いしたのか、だんだん負けが込んできて、中古だったら格安であればバイク買えたかも、というくらいの負け分になってきました。
それでも、あくまでも前向きな僕。
それまでに得られた知識や楽しさ、世の中への関心を持てたことを考えたら、安いもんじゃないか。
以前なら思いもよらない発想です。

5月に入っても調子のよさは変わりませんでした。
そのため、徐々に復帰のことを意識し始めました。
そろそろ、人馴れしておいた方がいいかもしれないな。
そう思い、いろいろな人とアポイントを取り、会うことにしました。
まずは新旧上司。
新上司は例の先輩であり、ストレッサーでしたが、そのことをどうしても本人に理解してもらう必要がありました。
でも、さすがに一対一は怖いので、旧上司にも同席してもらうことに。
とある土曜日、3人で待ち合わせて、まずは昼ごはん。
二人とも僕の変貌振りに驚いたようでした。
実は、この頃すでに筋トレの効果が現れており、5kgほどやせていたのでした。
しかも、脂肪の変わりに筋肉が取って代わっていました。
かなりやつれたように見えてしまったらしいのですが、事情を説明すると安心してくれました。
そして昼食後、場所を移し、思い切って話を始めました。
内容はここの「うつになるまで」、そして「休職してからの日々」で書いてきたものとほぼ同一。
始めはショックを受けていたようでしたが、頭の回転も速い彼はすぐに理解してくれました。
もちろん、あまり晴れ晴れとした顔はしてませんでしたが。
話を聞くと、以前にも似たような感じで、「貴方とは一緒に仕事ができません」と言われたことがあったようです。
「またやっちゃったみたい。へへへ」と自嘲的に笑う彼が、逆に気の毒に感じました。
でも言いたいことはすべて言えた。
これで復帰してもなんのわだまかりもない。

そして、妻の両親にも会いました。
自分の両親とは、それこそ月に1〜2回のペースで、電話やメールなどでコンタクトを取っていたのですが、すぐ近所に住んでいるにもかかわらず、妻の両親とは会えずにいたのでした。
ご両親は、はじめから明るく接してくれ、長くかかった僕の話をほとんど口もはさまずに聞いてくれました。
そして、話し終わり、「ご心配をおかけしてすみませんでした」と言ったところ、義父は、
「我々はぜんぜん心配していないよ。収入はうちの娘が働いているから心配ないし、仮にぎっちょくんが会社を辞めたとしても何とかなると思ってる。それに、ぎっちょくんのことは少しはわかってるつもりだから、時間さえかけてじっくり治せば、いずれはなんとかなると思ってるよ。今はつらいだろうけど、焦らないでじっくりのんびり休養をとるのが一番だよ」
義母からも、
「私たちが心配なのは、ぎっちょくんが辛い思いをしているなあ、ってことだけだから、あとは気を使わないでいいのよ。いくらでも時間をかけて、ゆっくり治してね」
二人の温かい言葉に、思わず涙が出そうになりました。

他にも、昔の同僚や、会社のカラオケ仲間とも会ったりして、久々に旧交を暖めました。
それでも、僕の気力は途切れることがありませんでした。

本も山ほど読みました。
それまで溜め込んでいた分を一気に消化するように。

それらのことは医者にもカウンセラーにも報告し続けており、「あと数ヶ月様子を見て問題なければ、復職のことも視野に入れられますね」という話が出始めました。
すべてが順調に回り始めた、そんな感じでした。

6月下旬に入り、念願のバイクも買いました。
すでに廃版車となった古いタイプの250ccの中古車でしたが、その見てくれのかっこよさに惹かれ、近くのバイクショップで入手したのでした。
株で稼ごうとここまで買わずにいたのですが、結局マイナスのままで、そろそろ乗車感覚を忘れそうだったので、元本から切り崩さなければなりませんでしたが、思い切って購入しました。
しばらくの間は何度も立ちゴケし、そのたびにブレーキレバーやクラッチレバーを折り、左右のウィンカーをつぶし、何度も交換する羽目になりましたが、返ってそれで自分で交換する方法も覚え、徐々に徐々に慣れていきました。
初めてのツーリングは往復160kmくらいの近場でしたが、とても楽しかったです。

そして、7月に入り、妻がずっと念願だった海外旅行にいくことになりました。
実は去年の7月も海外に行くことを決めており、予約までしてあったのですが、主治医の先生から「絶対にダメです。何でしたら私が電話で奥さんを説得しますよ」とまで言われ、泣く泣くキャンセルしていたのでした。
元々出不精で海外旅行に興味のない僕はほっとしたのですが、妻はかなりがっかりしていたようです。
しかし、「今の状態ならいいでしょう」今回は先生も言ってくれました。
そしていわゆる南の島系のリゾートへ行き、ほとんどお付き合いで出かけた僕も、たっぷり満喫して帰ってきました。


しかし、帰ってから、家族へ向けて旅行記のホームページを2日間でつくり(写真を見せに行ったりするのが面倒なので、旅行に行ったときはいつもそうしてます)、ほっと一息ついたその翌日、懐かしい、しかし二度と味わいたくなかったあの感覚が、あの形容しがたい状態が、足音を潜めて忍び寄っていたのでした。

それは今年、2005年7月中旬の頃でした・・・

つづく

設定テーマ

注目テーマ 一覧

月別リンク

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
おはようございます。
奥様のご両親は、とても理解のある方ですね。
奥様といい、ご両親といい、優しい方に見守られて幸せですよ!
如月メイ
2005/11/20 10:07
メイさん、おはようございます。
昨日早めに寝たら、早く起きちゃいました。
早速読んでいただいて、ありがとうございます。
今回うつになってよかったことは、妻や両親、妻の両親を始め、とにかく周りの人たちに恵まれていたなあ、ということです。
いろんな人が支え、助けてくれて、本当に感謝していますし、それに気づけたのは素晴らしいことだと思っています。
こういうのって、病気でもしないとなかなかわからないものですねえ。
ぎっちょ
2005/11/20 10:27

コメントする help

ニックネーム
本 文